おめめの歯形

自分の足跡を残すというより、必死に食らいついて歯形くらいしか残せない

ひふ

丸まってみても、眠れなかった。

 

私はその日、朝から不満をぶつけてみて

 

それを反省して

 

夜に謝って

 

だから、私の希望を言ってみたけど

 

一つも通らなくて

 

そしたらこれから一生

 

相手の事だけを受け入れなきゃいけないんだと思ったら死にたくなった

 

体重が増えて減らなくなった時も死にたくなったんだけど

 

それより、もっと、ひどい。かんじ。

 

梅雨特有の温度が肌に纏わりついて

私の皮膚の温度が下がる

 

心臓も冷たい気がする

 

手放しで私を抱きしめてくれる人が

この世にいたら泣いちゃうな

 

でもいないから

 

丸まって私が私を抱きしめる

 

ありきたり

 

明日はあったかいコーヒーを私のためにいれるんだ。

カフェオレもいいな。甘めのスコーンと一緒に。

熱い紅茶もいいな。

 

でもそう、私自身が提供する以外、私にコーヒーも紅茶も淹れてくれる人はいない。

月曜日の大盛りカレー

絶賛不機嫌である。

帰りの電車で本当に人生の終焉を考えていた。

8万円費やした美容クリニックで追加でまた5万円のコースを申し込んできたせいか。

それでも全然良くならないニキビのせいか。

とにかく沢山ある、理由はある。

生きている理由以上に死にたい理由があんだよ、あたしってやつは。

 

とにかく最悪。最低最悪の気分。

それでも律儀に明日のランチ用にお弁当の下ごしらえをしている自分は狂っている。

死にたいのに明日のことを考えている矛盾。ちゃんと仕事へ行ける謎。

 

アルコールは今日はやめておこうと、冷凍ご飯を解凍した上にレトルトカレーをかけたヒドイ夕食をとる。

余りすぎた白米には比率がおかしいレトルトカレー

私は無理矢理詰め込む。

ふいに

 

「あなたトトロってゆうの?」

 

というメイのセリフが頭をよぎる。

なぜだかどうしようもなく泣きたくたった。

もう、わけわかんないと自分でも思う。

 

カレーをなんとか食べ終え、はちきれんばかりの胃をなでる。

もう寝たい。このまま寝てしまいたい。

 

ニキビは痛いしひどい顔だし明日絶対メイクのらないしまた明日のこと考えちゃうしお腹いっぱいだし苦しいし太るなって思うし5万円思い出して来月のカードの請求はえらいことんなるし来月バレンタインかよめんどくせーし周りにロクな男もいないしロクな女もいないし今日は月曜日だし

 

月曜日だからだ。

カーペンターズも雨の日と月曜日はなんとかっていってた。

アクアリウム

「俺、ちゃんと大事にしてたよ」

 

「ちゃんと、ってなに。私のが好きだったよ」

 

「のが、ってなに」

 

「とも君、川上弘美好きじゃなかったでしょ」

 

「いや、読んだじゃん。マキだってマキシマムザホルモン好きじゃなかっただろ」

 

「いや、聴いたじゃん」

 

「本当は洗面所の棚のタオル、綺麗に丸めて並べられるの嫌だった」

 

「言えば良かったのに。私も本当は野球、好きじゃなかった」

 

「言えば良かったのに」


「言えなかった」

 

「言えなかったのは大事にしてたからだよ」

 

「言えなかったのは好きだったからだよ」

 

「でも」

 

「もう、言えるんだね、お互いに」

 

「会いたいとか帰りたくないとか素直に伝えて欲しかった」

 

「会いたいとか帰りたくないと思ってるってわかって欲しかった」

 

「言葉で大切だとか好きだとか素直に伝えて欲しかった」

 

「大切だとか好きだとか言わなくても思ってるってわかって欲しかった」

 

「言われなきゃ、言わなきゃ、わかんないよ」

 

「だって」

 

「俺、男だもん」
「私、女だもん」

スロウ バラード

誰かが
私のことを
心から好きだったらいいなぁって思う

誰かが
私のことを
心から必要だったらいいなぁって思う

思いとか
気持ちとか
全部空回り

ひとりでに突き進んで
結局
所在なさげ

手を伸ばしても
届かないものばかり
探しているものも
見つからないものばかり

誰かが
思いっきり手を伸ばしてくれたらいい
私に向かって一直線に
そんでさ
それを私が掴んでさ
ありがとうって言うの

ありがとうって

君のためにここまで来たんだよって言って
そしたら私さ
待ってたって言うから

笑顔で言うから

そんでさ
掴んだ手はさ
二度と
離さないから

でもほら
そうもいかないんだって

誰かが
私が泣いても気付きませんように
いつもの
ありふれた
毎日でありますように

ふとした時の存在でいたかった
通り過ぎた後でもいいから

私が扉をノックしても
誰も開けてくれなかった

それでもいい
きっと
いい

今なんてロング缶片手

ニュースで野球選手と女優の結婚が発表された。


てっちゃん、見た?
あの野球選手さ、2人で甲子園の予選で見た子だよね。すごく暑い夏の、てっちゃんの母校のグラウンド。
「俺の高校の後輩なんだよね」って興奮して話してた。


野球好きのてっちゃんに連れられて、私、沢山球場へ行ったけど、あの子の事はとくに覚えていたよ。


プロになってからも好調で、ついに結婚だって。まだ若いのに。でも、スポーツ選手は結婚が早いんだよね。年上女房となる相手の女優、私、好きだよ。


夏の日にあの子をグラウンドで見た時は、

てっちゃん、絶対にこの子はプロになって活躍するって興奮気味に話してたよね。


あの時、あの時はさぁ。
私たちが結婚する予定だったんだよね。
お互いの親にも紹介済みでさ。
週末っていったら野球見にいってた。


私の左手の薬指にはバンクリが輝いて。

あれさー、嬉しくて嬉しくて、一日何回眺めたかわかんないんだ。

 

その時はさ
あの子がドラフト指名されるのを、リビングで眺めるてっちゃんを私がキッチンから眺めているとか

あの子がプロ初登板になったのを、興奮してビール片手に笑うてっちゃんの隣にいる私とか簡単に想像できていた。

だって、私の左手にはキラキラのバンクリだよ?


野球なんて全然好きじゃない私。
私が聴くロックを好きじゃないてっちゃん。


てっちゃんちの引き出しのタオルをキレイに並べたら怒られた。


旅行中にスマホゲームしてたから怒った。


朝ごはんに時間かけすぎるとか、シャワーヘッドの向きですら言い合いになったのに。


でも、2人とも思ってた。


結婚するんだから。
結婚してから治してもらえばいいや。
馬鹿だったね。


今、この時に言えない事が、未来で言えるわけないのに。


てっちゃん、あの子、結婚したね。

 

てっちゃん。

あのね。

私もね。

 

結婚したんだ。

言ってなかったけど、夏より冬のが好き

私は知っている 
「経験値」が問われるなら、だいぶ、ある


最初は楽しい
ドキドキして
顔がニヤけて
用もないのにスマホを見ては一喜一憂


「これが好き」
「これは嫌い」
に敏感になって


新しい服を買って靴を買って
迷走したり


それでも嬉しいことがいっぱい


行きたいところは沢山で
過ごしたい時間も沢山で


読まなかった本を開き
聴かなかった音楽を聴き
買わなかったものを買う


おかしいな、と思わないようにしたって
一回思ったら、もうおしまい


楽しいな、が、楽しいといいな、になって

悲しいと苦しいと辛いの割合が多くなって


気付けば


約束が守られなかっただけ


クローゼットには袖を通していない服か増えただけ
棚には好みではなかった本が増えただけ


あんなに緊張していたスマホチェックは
画面が滲むようになっただけ


名前が一個、無くなっただけ


いつから1人だったのかなぁ、と思う


最後の言葉は「ごめんね」
謝られるのは、いつも、私の方

前髪は切らない

「今季一番の暑さになるでしょう。」
洗濯機のゴウンゴウンと唸る音を聞きながら、
テレビに映ったお天気お姉さんの服を見て、今日こそはクローゼットの中の衣替えをしようと決意した。

 

「昨日、寝れなかったんだ」

「なんで?」

「バチっと夜中に目が覚めて、どうしようもないない不安に襲われて」

「不安?」

「そう、ない?たまにさ。どうしよーもない、わけわかんない感じ」

「うーん、昔はあったけど」

「そうゆう感じ!」

「でもそれ、バイトとかの身分で、俺、このままどーなっちゃうんだろう?みたいな時だよ。今は流石にないわ」

「えー、あ、そう?私はまだあるんだなぁ。どうしようもないさぁ、こう、、」

「大丈夫だよ」

「え?」

「どーにもなんないんだから、今の生活」

 

私にはなんの力もない、という烙印をサクッと押されたようだ。

 

「じゃ、いってきます」

「いってらっしゃい」

 

昨日の夕方のニュースが、ほぼ今朝のニュースで、そりゃ十何時間で世の中そんな大事件ばっか勃発しないよな、なんて思いながらテレビを消す。

洗濯物を干して、一階も二階もクイックルワイパーと掃除機をかけた。
少しのティータイムをとり、ガスレンジの掃除に取りかかる。
この調子だと、午前中には衣替えまでも終了しちゃうなぁ、なんて考えながら手を動かす。

 

「お兄さん、松井に似てる」

「松井?松井ってー、、ゴジラ?」

「うわっ、お兄さんふっるー、違う違う、そっちの松井じゃなくて、野球選手なのはおんなじなんだけど、最近結婚したさぁ」

「俺、野球、全然見ないんすよ」

「えー、松井って救世主だよ!今、松井いなかったらやばいもん」

 

私、知ってます。


美容室で、カラー剤が髪に浸透するまでの、あのマヌケなスタイルで、隣の女性に危うく声をかけるところだった。

 

「ねぇ、ほら、この子」


隣の女性が担当美容師にスマホの画面を見せている

 

「えぇー!似てなくないっすか?なぁ?」

「あー、どうでしょう?まぁ、、似ている、似ていないって、感性ですよね」


巻き込まれた若いアシスタントは、スタイリストと客に挟まれて困惑している。

 

「絶対、似てるって。でも、ほんと、松井いなきゃ終わってんだもん、今のチーム。松井、いいよ!お兄さん野球観てみて!」

 

似ていないと思います。

私、彼がプロになる前、甲子園の予選で彼の試合見たんです。

その時、隣にはてっちゃんがいました。

 

「松井くんがスゴイから見に行こう」

 

てっちゃんは松井くんの高校のOBでした。
野球が好きで、大好きで。
私たちのデートは、ほぼ球場といっても過言ではありませんでした。
私は野球よりも、てっちゃんが好きでした。

暑い暑い夏の日で、汗だくで、メイクなんてすっかり剥げ落ちた顔の私は、てっちゃんに嫌われたくないためだけに、あのベンチに座っていました。

 

それでも、素人の私でも、マウンドに立つ松井くんは凄みがあって、てっちゃんは彼に釘付けで

 

「絶対プロになる、絶対活躍する、絶対」
と興奮しながら何度も言っていました。

 

私はその時、ドラフトを祈るように見ているリビングにいるてっちゃんを、キッチンから眺めている私も、プロ入り初登板をビール片手にてっちゃんの隣で見ている私も全部想像できたし、現に私の左手にはティファニーが輝いていて、これからくる素敵なキラキラした日々以外、あり得ないと信じていました。

 

「お待たせしましたー!色チェックしますね。うん、いい感じです!シャンプーに入りますね」

 

松井くん、結婚したんだって、てっちゃん。

 

「流したりないところ、ございませんか?」

 

私も、結婚したんだよ、てっちゃん。

 

ガツン、と五徳が響く音がしてハッとする。
シンクの蛇口には、昨日髪を黒く染めた私が歪んで映る。

 

私は、きっと、幸せです。