ダーリンPPP
久々に聴いた、クリスタルケイの「ダーリンPPP」という曲。
アルバムに入っていた曲で、タイトルもメロディも歌詞も、もんのすごく好きで、その当時の自分とリンクして、何度もリピートリピートで聴いていた思い出の曲。
今でも聞くと泣ける曲のひとつ。
片想いってこうゆうもんだよねぇ、、となる。
歌詞の一部を語ります。
※正確ではない上、個人的解釈。
「街を歩くの 彼と街を歩くの それだけ ただそれだけなの 幸せなの」
「眠くなったら眠るの でも1人で眠るの疲れるから」
完全に片想いの上、自分でもどこか、この恋に冷めている、諦めている。
はじめは、彼と街を歩けるだけで幸せだから、寝る時も一緒だとドキドキして疲れるのかな?と思っていたけど、聞くたびにそうゆう甘酸っぱさではない印象。
強がりなのかなと。
たぶん、彼は決して一緒には寝てくれない。
そこを隠すように「疲れるから1人で眠るのよ」と気怠そうに言ってのけているような、自分でそう言わないと折れちゃうんじゃないかな。
「雨の日は 早足の彼の後をくっついてゆくの 待ってって言ってもちっとも待ってくれない めんどくさそうね でもいいの男だから」
「そして 俺用あるからさ とか言って道の真ん中置いてきぼりにするの でもいいの」
うぅぅぅ。
でも、いいの。いいんですよね。
好きだから、けっちょんけっちょんに扱われても、全然大事にされなくても、好きだから、いいの。
そしてラスト
「ある日突然サヨナラがきて 大好きな人 彼にできても この心で彼のほっぺたたいて それでいいの 私 幸せだったよ」
心で叩くんですよね。
最後まで、彼へ怒りをぶつけたり、泣きわめいたりすることはありません。
いいよ幸せだったから。
恋って、お互いが同じくらい好きっていうことはない。
そして大抵、好きになった方が負けだ。
私も昔、どんなひどい扱いをされても、大好きで大好きで仕方なかった人がいる。
友人にも散々やめとけと言われても、大好きでどうしようもないと痛い発言をしていた。
幸せだった。
たぶん、その時の私は。
彼が大好きだったから。
でも、ある時、愕然とする。
私は、彼が大好きな私自身は大嫌いだという事に気付いてしまった。
そう、彼の事は大好き。でも、そんな自分は大嫌いだったのだ。
自分が自分の事を嫌いなのに、人を好きになっている矛盾に疑問を持ってしまったんですね。はい。
好きな人ができたら、それと同じくらい、自分自身も好きになりたいと、私は思っちゃったんです。
その事に気付かなかったあの頃の私。
でもきっと、気付いたところでも、こう言ってしまったのかもしれない。
それでいいの、幸せだったよ。