おめめの歯形

自分の足跡を残すというより、必死に食らいついて歯形くらいしか残せない

10月は石原さとみからスタート

実家がある片田舎から、母親が上京してきた。

一緒に舞台観劇へ行くのだ。

東京駅で待ち合わせ、ランチをし、会場へ向かうスケジュールだった。

 

東京駅は連休の為か大混雑しており、どこのお店も並んでいると予想していたが、意外にどのお店も空いていた。

三連休のど真ん中の東京駅は、単なる目的地までの通過点でしかないようだ。

 

母の希望で定食屋に入り、簡単にランチを済ませて店を出たが、観劇までにはまだかなり時間がある。

せっかくなので東京駅の近辺でブラブラすることにした。

 

母は特に欲しいものがなかったが、私は先日からマスタード色のセーターを探していた。

カタチにもかなりこだわりがあるので、なかなか見つからず困っていた。

東京駅の近辺など、普段全く来ないので、ここで掘り出し物があるといいな、と思いマスタード色のセーターを探した。

 

色々な店を回る中、ふと、イエローのニットワンピースに目がとまる。

とてもとても素敵。

母も「おめめちゃん!これは可愛いわよ!」とガンガン勧めてくる。

でも、私が欲しいのはマスタード色のセーターで、しかもワンピースだと着回ししにくいし、と私自身は後ろ向き。

 

「あてるだけ!ね!鏡で!」

「や、いいよ、ホント」

このくだりを店前で繰り広げていたら、案の定、店員につかまった。

ホント、アパレルの店員って美人でスタイル良い人が多すぎ。

 

「ぜひ♪ご試着だけでも!」美人店員も勧めてくる。

「ほら!おめめちゃん!ほら!」

母の声も力む。

言っておくが、私は32歳と半年の立派な大人の女性だ。

母にとってはいつまでも子供だろうが、いちいち「おめめちゃん!ほら!」なんて言われる身にもなってほしい。

 

うーん、でも確かに可愛いな、と結局試着することに。

フェイスカバーだけ、お願いしますね」

そう言った美人店員に案内された試着室でパンプスを脱いだら、靴下に穴が空いていた。

美人店員はスルーしてくれたが、一気にこのイエローのニットワンピースを着る資格がないように思えた。

 

試着室でモタモタしていると、外で母と美人店員が盛り上がっている。

いつものことだが、母は褒められて喜び、普段大きめ声がさらに大きくなっている。

 

「田舎からでてきたんだけどねぇ、これから舞台を観に行くの!」

「わぁ!いいですね!素敵なお母様とお嬢様なので、客先でも注目されますね!」

「あら!嬉しい!おめめちゃん!聞いた?ねぇ!素敵ですって!」

 

聞こえているが、こっちはやっとニットワンピースを試着したところだ。外の会話になんてかまってられない。

試着室の鏡で見ると、ワンピースはめちゃくちゃ可愛い。

しかし、どうにも服に着られている感。

私の背が足りない、細さが足りない、顔の小ささが足りない、つまりは総合的に足りない。

着こなせないかな?

でも可愛いなぁ。

 

「おめめちゃん、着れた?」

母の催促で試着室の扉を開けた。

 

「わぁ!お似合いですぅ!とっても!」

マニュアル通りの台詞を美人店員からもらう。

「おめめちゃん!いいじゃない!」

何を着てもそう言う、母のいつもの台詞をもらう。

 

「うーん、でも、着られてない?ワンピースの威力に追いつけない」

否定してみるものの、ちょっと欲しくなってる自分がいる。

 

「良かったら外の大きな鏡でどうぞ」

美人店員の言われるまま、大きな鏡で見る。

こうゆう時、他の店員やお客さんがいて恥ずかしいんだよなぁ、と思っていたその時。

 

「おめめちゃん!これね!石原さとみも同じの着たんだって!石原さとみ!」

 

その時の私の顔を、誰か撮っておいて欲しかった。

母の大きな声に、他の客の目線が、一気に私に集中したのがわかる。

 

続けて美人店員も「そうなんですよぅ!ドラマで!」と続ける。

 

私の目は完全に死んでいただろう。

頭の中は全面謝罪しかない。

ホント、私なんかが着てすみません。

 

石原さとみが衣装で着ていただけで、それを着たら石原さとみになれます?

 

なれねぇ。

 

「えー!じゃあ、買います!」ってなる?

 

なんねぇ。

 

「ホントにお似合いですよ」

美人店員が盛り上がるが、私はもうこの地獄から早く抜け出したくてたまらない。

 

「とりあえず、着替えます」

そう言って試着室に戻り、美人店員にイエローのニットワンピースを渡し、少し考える旨を伝えた。

 

「あれ似合うの、たぶん、石原さとみだけだよ」と母に告げると

「そんなことないよ!おめめちゃんも、とっても似合ってた!」励ましてもらった。

 

すごい可愛い、、、でも、石原さとみの重圧がハンパない。

 

石原さとみになったら買うわ」

「やだ、面白い、おめめちゃん。でも、石原さとみは色違いだって」

「え?」

石原さとみは、違う色だって」

 

 

私の家のクローゼットには、イエローのニットワンピースがかかっている。