ことばとかもじとか
このブログは、全体に公開しているものの、見ている人はゼロに等しい。
自分の気持ちの居場所を作りたくて始めてみたものだし、全然更新しないから、何かに引っかかったりして身バレする心配もない。
このようなサービスを使っていて矛盾していると思うけど、普段、現実にいる私を誰も知らないから安心なんだ。
これを書いているのが「私」と誰にも知られたくない。
巷のSNSもそうだ。
便利で誰かと繋がれる分、自分の情報がダダ漏れ。誰にでも存在を知られてしまう。
だからfacebookも辞めたし、インスタも辞めた。
私にとってのSNSは、恐怖だ。
さて、私の趣味の1つに映画鑑賞がある。
映画館に足を運ぶのは月に3回程度だが、レンタルや月額サービスでは1日に3本観たりする。
自分の記録として、アプリを使うことにした。
観た映画と、その感想を記録しておくのだ。
そのアプリは他人とも繋がれる。
私は身バレしない程度の情報のみを公開していたはずだが、友人にバレた。
それもそのはず、その友人とは数回映画を一緒に観に行っており、私自身が「このアプリ使っててー」とうっかり言ってしまったのだ。
友人はアプリなどに興味がないと思っていたら、どうやらそうでないらしく、友人もアプリを使い始めたのだ。
私の映画の感想を見た友人からは「普段のおめめじゃないよね」や「意外」と言われるまでは良かった。
面倒なのは、友人もアプリ内で映画の感想を残すようになった。
そうなってくると、私とものすごい好みが違うことがわかってしまった。
これじゃ、もう映画を一緒に観に行くことはできない。
さらに、私はアプリ内の自分は普段の自分と切り離しているが、友人は違ったのだ。
私が映画を観て感想を残すと、友人にも通知が届いてしまう。
すると友人から「◯◯観たんだね」などとLINEで連絡がくるようになってしまった。
私はまた1つ、自分を表現する場を失いそうだ。
大げさかも知れないが、それくらい私にとっては大事なアプリだった。
心がモヤっとする。
私はどうして心が広くないんだろう、映画なんて娯楽の1つだし、好みだって人それぞれだから気にしなくていいのに。
だけど、私は映画の感想でも、自分の言葉を残しているという自覚がある。
それは、実はとても本質的で、普段の自分では表現できないような事も、言葉や文字にできているという楽しみ方をしていたのだ。
友人とは楽しみ方が違っていたのだ。
私を知っている人に、私の書いたものを読まれる恐怖。
それと矛盾して、私を知らない人には、私の書いたものを読んでほしい自己承認欲求。
こんな面倒な自分にも辟易してしまう。
私はどうして、こんな事1つもうまくこなせないんだろう。
どうして、うまくできないんだろう。
私はそのうちアプリを辞めるだろうか。
600本近い映画の履歴と、300件近い感想を無かったことにするのだろうか。
たかだかアプリ。SNS。
いっそ、もう全て辞めてみようか。
私は私を消せるのだろうか。