つるりん
舌でなぞると、生まれてはじめて、つるりん、と私の歯の表面が言った。
小学四年生の頃だった気がする。
歯並びなんて大して気にもしていなかったのに、上の歯茎がズキズキし、歯茎から白いものが2本、ニョキリと覗いていた。
最初はなんだか不気味で、しかも上前歯4つを挟んで左右対称に見えているものだから、一体どうなるんだろう、と思っていたら、そのうちニョキニョキ成長して、立派な牙、八重歯になった。
上下とも、きちんと前ならえ!で整列していたはずなのに、年齢を重ねると共に個々に自己主張が激しくなり、いつしか上下の列はガタガタに乱れた。
整列ー!と、どんなに声をかけても一向に集合しない。
上はトンがった不良が2人、前歯4人がいなかったら、一触即発なトンがった2人。
それを必死に止めようと、前歯4人がバラバラに出ている。
せめて4人の力は合わせて欲しかったところだが、私にはどうしようもない。
下は一番手前の子が1匹狼らしく、ひねくれの最上級にいて、この世の中に全力で背を向けている。
その子以外は秩序を守ろうと、大人しく並んでいるので、なおさら1匹狼は目立った。
そんな感じで、私の口の中の世界は出来上がり、それは他人には見苦しい世界であり、私にはコンプレックスの世界が1つ増えた。
「外人」とあだ名を付けられるくらい濃い顔に、でっぷりとした体格、これ以上突出したものなんていらないのに、せめて、見えにくいところはキレイであって欲しかったのに、私の願いが叶う事はなかった。
「おめめって歯並び悪いよな」
中学校の全校集会で体育館に集まり、先生の話をひと通り聞いた後、隣の瑞樹くんがど直球を投げてきた夏。
暗幕の引かれた暗い理科の実験室で、隣になった慎也くんが、私の手元を見て唐突に「おめめの手ってドラえもんみてぇだな」と呟き、私の心にも暗幕が引かれた高校生の秋。
うまく笑えなくなって
肩を縮こませて歩いて
嬉しい思いなんて1つもなくて
辛い思いばかり重ねていく
「ハーフ?」と「痩せれば可愛いのに」が挨拶がわりに投げつけられた十代終わりの冬。
「こんなんばっか食うから太んだよ」と付き合っていた彼氏にポップコーンを投げつけられた二十代前半の春。
口元で手を隠すようになり、少し痩せて、化粧が板に付いた二十代後半。
春夏秋冬をいくつこえたでしょうか。
30歳の時に、私は決意した。
みなさんは言うでしょう、もっと早く決意しろよ、と。
今更なんだよ、と。
意味ないよ、と。
それでも私は決めたのです。
レディースエンジェントルメン!
お待たせいたしました!
私の顔にスポットライトがあてられた。
眩しくて、思わず目を瞑る。
「おっめめ!おっめめ!」
「みなさん、、、おめめ、32歳と半分になりました!」
「おめめー!笑えー!」
私は思いっきり歯を見せて笑った。
「真面目に並んでいた子を、上2人、下2人、親も知らなかった子を3人、、計7人もの子を犠牲にしましたが、トンがっていた2人は鋭さはあるものの年相応の落ち着きを見せ引っ込み、最上級にひねくれていた1匹狼は世の中ときちんと向き合ってくれました。
保護観察処分が2年くらいある子たちですが、私が道を外させない限り、このまま素直に歩んでいってくれることでしょう」
「おめめー!やったなー!」
「ありがとう!ありがとうございます!」
「、、、さん」
「、、、」
「おめめさん、うがいしていただいて結構です」
「あ、、はい」
「変な感じですか?」
「えぇ、、はい、やっぱり、、何度も舌でなぞっちゃいます」
「あはは、皆さんそうですよ。では、これがリテーナーです、説明した通り宜しくお願いしますね」
「はい!」
歯科医院を後にして、歩きながら、やっぱりなぞる、私の歯。
つるりん。
嬉しい反面、なぜがギュウッと心臓をつかまれる。
歯がキレイになった。
それがどうした?
誰かに言われた気がして振り向いたら、八重歯をニョキリと見せた、小学生の私がいた。
「その歯になったら、前見て歩けるの?」
真っ直ぐな目で私を見る。
「え、、、」
ちょっと目線をそらして戻すと、中学生の私がいた。
「少し痩せてキレイになったら、傷つかないの?」
「、、、、」
「忘れたっていいけど、なかったことになんてできないよ」
高校生の私が言う
「あんたの真ん中は、自分自身の真ん中は変わったかって聞いてんの」
32歳。
私は32歳。と半分。
無職だった。
「責めてるの?」
いつの間にか、色んな私に囲まれてる。
「褒めるつもりなんだけど」
「、、、そんな感じに思えないけど」
「あのねぇ、他人になんて褒めてもらえないでしょうよ」
「まぁ、、、うん」
「だから、私たちが褒めるんでしょうよ。過去の私たちが。さっき聞いたよね?その歯になれば前向けるの?自分自身の真ん中は変わったの?って」
「、、、」
「全力で、食い気味で、うん!って言ってよ」
「わからないんだもん」
「わかんなくったっていいんだよ、うん!って言うんだよ!他の人に何言われたって、うん!って言うんだよ!ちゃんと、こっち見て!」
「笑って」
にぃーっと笑った
「ぎこちないけど、まぁいいんじゃない」
「32歳と半分の私!」
「今も昔もさぁ、辛いだろうけどさぁ」
「こんな日くらい笑って」
「私たちがいたこと、忘れないで」
忘れないよ
笑おう。
たくさん笑おう。
32歳と半分の無職の私。
歩け、歩け、歩け!